Sat, May 21

  • 23:38  きょーとゆきの やこーバスに のりました。むしあつい(;´Д`)
  • 21:37  @kzhr そーいえば、http://bit.ly/mNLnZv の カイザーろんぶんわ、こーのの もじろんわ べつに せかいに さきがけてなんかない、と けつろんずけて いましたけれど。  [in reply to kzhr]
  • 21:31  @147yen どーいたしまして。しかし、こんかいの ばーいわ、弑の つくりのだけお かいたのの へんけーと みたほーが ぶんみゃくてきにわ ふさわしーかんじですけれど。?も、かいてある じけーわ、?のほーが ちかいでしょーね。  [in reply to 147yen]
  • 16:35  婚前特急」みたよ。なかなか しんどい さくひんでありました。
  • 00:53  松井簡治先生が嘗て「自分は長年辞書の言葉の説明を書いていて、いかに字数の少い説明で足りるかということばかり工夫していたために、簡潔な文章しか書けなくなった。辞書あたまになってしまったよ。」と私に話されたことがあるのを思い出す」(かわせ[1980: 1223])。
  • 00:50  帰京すると、宇野家令から某先生には古書はないと言ってあるので、申し訳ない次第であった。どうか単独で再訪を願うとの詫び状がまっていたのである」(かわせ[1980: 1169])。
  • 00:50  「昭和の初年に細川家の蔵書の拝見を許されて熊本を訪れた際、私が何気なく同行を乞われる儘に同地在住のO先生と一緒に細川家別邸を訪れた際、文書(「細川幽齋田邊城籠城日記」というような類)のみ示されて、古書籍は一つもないと言われて目的を達せず帰京したことがあった。
  • 00:45  大鏡建久本「本文は全文連続書きで改行なく、和歌も改行しないことを原則とし、その頭字に朱の三つ星を施して弁別に具えてある」(かわせ[1980: 1089])。ふむ。

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